尾瀬 2009年8月1日〜3日

2009年8月1日〜3日 二男と二人で゛二泊三日の尾瀬旅行に行ってきました。

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平成21年 8月 1日   自宅〜第二長蔵小屋 

 8月1日 午前5時10分頃に自宅を出発、松戸発5時44分発の上野行きで日暮里まで行き、山手線で東京駅まで。
東京駅7時発のバスに乗り、首都高を美女木で関越に乗り換え、沼田インターへ。その間断続的な渋滞で、20〜30分ほど眠ってしまった。結局尾瀬戸倉に到着したのは、予定時間の11時20分を10分遅れの11時30分に到着。乗車している人も10人前後と少なかった。関越道での雨も沼田インターを出た頃には上がり薄日もさしていた。

 尾瀬戸倉から、マイクロバス(ワゴン車のタクシー)の連絡待ちで約10分程度、鳩待峠に到着したのは、12時少し前だった。

 その鳩待峠で偶然にも、二男の小学校の先生にお会いした。担任を持ってもらったことはない女性の教師の方だが、ご主人と来られたとのこと。

 12時15分頃に、一日目の宿泊地である見晴の第二長蔵小屋を目指して、出発した。
次男は、テレビや広告で見た湿原の中の木道に出るまでの間はつまらなそうだったが、山の鼻を越えたあたりから始まるその景色に、機嫌がよくなってきた。

 途中、花やオタマジャクシ、イモリ、魚、昆虫などの写真を撮ったり、観察しながら進んで行き、昼食がてら三又(牛首分岐)で休むと、バスで一緒だった若い男性3人組と再開?し、少し会話をさせていただました。その方からチョコレートを頂き、二男は、シゲキックスを1粒づつ、お返ししていた。













 その後、竜宮を経て、無事に見晴の第二長蔵小屋に到着したのは、16時少し前であった。時期的に空いているようで、二男と二人だけの、個室状態となった。食事前にビールを2本飲んでしまった。500mlのビール1本が、600円は高いとは思わなかった。話はそれるが、ザックと中身で、25キロ程度の重さを担いでの10キロ程度の走行は、やはり体に堪える。17時30分の食事後、風呂に入ると、嘘のように筋肉の疲れがほぐれた。


 食事後小さいカップめんを食べるのも兼ねて、二男の許可も取り、もう一本ビールを売店で買い求めたときに、従業員の方からホタルが見られるとの情報を頂き、飲食は後回しで、教えていただいた場所に行ってみた。19時少し前でまだぼんやり明るかったせいもあるのか、最初の場所では確認できず、もう一つの場所に行ってみると、完全に日も暮れたのに、なかなか見つからなかったが、ちらほらと光るものを発見した。その後飛んでいる蛍を見た後で、宿の前のガスやガソリン器具が使えるベンチで、ミニカップめんとビールを食した。その後、8時頃には次男は眠りにつき、私も8時30分の記憶はあるのだが、その頃に眠入ってしまったようだ。





8月2日、AM5時前に目が覚めた。
6時の朝食までには時間があるが、特に何をするではなく煙草を吸いに外のベンチに行ったときに、宿泊した小屋の外国人(あえて国籍はかきません)従業員さんと話をした。
 日本の尾瀬が好きで、10年近くお客として通っていたが、今は従業員として働いているとのこと。その方曰く、今年は、鹿の被害が多く、ニッコウキスゲや水芭蕉のつぼみや新芽を食べてしまい、部分的に咲かない場所や、まだらにしか咲かない場所もあったとのこと。人が来てたり、人が少し手を入れることが、尾瀬を守るとも話してくださった。「これぐらいの子供(小学生)に来てもらいたい。小さい頃来たことによって思い出し、また来たいとか、大人になったらまた来る、次は子供を連れてまた来る。そうしないと、人が来なくなり、人が来なくなると、尾瀬は保たれない」と話してくださった。

本日の予定は、燧ケ岳に登って尾瀬沼畔の長蔵小屋へ行くか、登らずゆっくりと長蔵小屋に向かうか考えていたが、昨晩の雨もあがり、薄日も差していたので、燧ケ岳を登ってから宿泊場の長蔵小屋へ向かうことにした。(が、これがまちがいであった…)。

6時50分に宿を出し順調に歩きだした。すると、先日バスで一緒で三又でもお会いした男性の三人組の方に会い、追い越されてしまった。その後だんだん雲行きが怪しくなってきた。雨も降り出し、25キロ程度のザックに、水と弁当を合わせると、30キロ近くなるザックを担いでの登山の"きつさ"と、雷雨を考えると、あきらめることも勇気と思い、半分の地点から、約1時間進んだ程度の所で、引き返すことにした。
ソレマデノ上り坂はは二男が先行し、私を待ったりしてくれていたのだが、下山の滑りやすい岩場の、"沢"のような道に疲れたと、泣きが入った。「泣いていいよ」と私が言うと、本当に泣き出した。林の中は薄暗く、雨の音以外聞こえず、非常にやるせない思いにかられた。少しだけ泣いた次男は、そのあとは元気がないものの、白砂峠のルートで沼尻に向かった。途中の小沼湿原辺り(11時45分)で次男は昼食をすませた。12時5分頃沼尻に到着した。はっきり言って、燧ケ岳2/3のあと引き返し白砂峠を越えるのは、ある意味燧ケ岳越えよりきつかったかも…。
そう言えば、外国人の従業員の方が朝食前に「山に登るなら、5月下旬の至仏山が花や景色をみながら楽しく登れるよ!。燧ケ岳は、子供にはあまり楽しくなくて、かえって尾瀬を嫌いになられるかもしれないよ。何度か尾瀬に来て、東北で一番高い山に挑戦しようと思ったら、登るといいよ」と言われたのを、ヒシヒシと感じた。ごめんね、二男。

沼尻に到着して、小沼湿原辺りで昼食を摂らなかった私が弁当を食べていると、二男が、男性三人組みの方と話をしていた。
彼等は、ナデッ窪を下ってきたとのこと。先に沼尻の休憩所に居る私たち親子を見て、もっと近道があったのかと思った。と話してくれた。私は山越えを断念したことを話した。その後、彼等は大清水を抜けて帰ると話してくれた。写真を送るためのインターネットのメールアドレスをお聞きし、私たち親子は、長蔵小屋に向かった。
長蔵小屋に着いたのは、2時半ごろだった。その日は小雨もぱらついていたので、そのま宿ですごした。4時のお風呂を出たあたりから、大雨に変っていた。
その後、5時半の食事のあとは、少し雨はやんできたが、そのまま部屋で過ごした。
夕食のときに、同じテーブルに着いた、お母さんと男の子(小学校2年生)と
お話させていただました。翌日の天気次第では、燧ケ岳に登ろうかと、おっしゃっていました。

ビジターセンターで19時からある尾瀬のいろいろな発表も聞きに行かず、部屋でごろごろして過ごし、いつしか二人とも眠ってしまった。
ところが、夜中の2時頃、私の喉の異変と筋肉痛や肉体的疲れによるものでない発熱によるダルさと、右ひじ下にアブにやられた痛かゆみにぼんやりと、目を覚ましたが、起きて薬を飲む気力もなく、もう一度眠ってしまった。





8月3日、前日と同様5時前に目が覚めた。
体調がかなり悪く、ロキソニンとアリナミンを飲み、なんとか起きて動けるようになった。
体調の悪さを、心配しない程度に二男に話、出来れば早めのバスに乗り、帰宅したい旨を告げた。昨日の予定では、10時40分発の沼山峠発、もしくはその1本あとの12時05分発を考えていたのだが、早ければ早いにこしたことはないと考えが変わってきていた。

早めに帰宅したいのには発熱だけでなく、ザックが異常に重く帰宅ラッシュの電車の中で、ザックを網棚に置くことも持ち歩くことも、かなり困難と考えられるのもあったからだ。

朝食は、6時からで20分には済ませ、食事前に荷物の整理をしておいたので、45分には出発してしまった。
朝食の時に、昨晩の食事と同じテーブル&人員だったこともあり、どこから入山されたか聞かれたので、聞き返すと、茨城県の水戸の方から、御池まで自動車で、御池からシャトルバスで沼山峠から入られたとのことでした。尾瀬が好きで、3年通われているともお話しくださいました。

ガイドブックでは、約1時間20分程度の道のりとなっている長蔵小屋から沼山峠までの間はだらだととした登り坂で、体調や荷物の重みも考え、1時間50分の予定をたてたが、昨日の燧ケ岳の道に比べれば、全然余裕で、50分程度で無事に沼山峠に到着し、沼山峠8時30分発の会津高原尾瀬口駅までの直通の会津バスの時間までには、かなり早く到着してしまった。

バス停では、すでにバスが到着していた。そのバスの運転手さんに確認すると、私たちが乗るべきこの直通のバスの前にもう一本、御池までの折り返しのバスがありその次とのことで、バス停で時間をつぶすことにし。
その間、運転手さんと話をさせていただきました。気さくな方で煙草を吸いながら、「久しぶりに爽やかに晴れた朝だ」と。確かに、昨日の天気は良いとは言えず、帰宅する今日が、こんなによい天気というのも…。晴れないよりは良いと思いながらも、少しだけ損をした気分になる。
その運転手さんは、重そうで大きなザックを見て、こんなことも言っていた「ハイキングでなく、体を鍛えるための、トレーニングのようですね(笑)」と。
私だけではなく、そういう方をちらほら見かけると言っていた。
駅まで、2時間はかかるから、出発前にトイレに行くよう、二男に言ってくださったり、「男の子だから、途中で我慢できなくなったら、バスを止めるから、立ちションするように」とも話してくださった。親切で優しい運転手さんでした。
荷物の多さに、先に荷物を積んで、バス内に居ることも、許可していただきました。


バスで沼山峠から会津高原尾瀬口駅までは約2時間、途中の桧枝岐あたりで、携帯の電波が届いた。これもバスの発車前に昨日の朝からずっと電波が届かないため、どのあたりで電波が届くのか聞いていたので、「おきゃくさん、このあたりから電波入りますよ〜」と一番後ろの席に座る私に大きな声で教えてもくださいました。
電波が届くと、何通かメールが届いたが、返信するころにはまた、圏外になってしまった。

ほぼ時刻表通りに、会津高原尾瀬口駅に到着し、特急券を購入した。大人1,300円子供650円には代えられぬ、速さを選んだ。個室も考えたのだが、2人で3,000円プラスは贅沢かな?と思っているところ、駅員さんも、「贅沢ですよ」と言ってくれたので、個室はやめにした。
10時49分発、新藤原行きの電車に乗り、車内で軽く食事(山小屋のお弁当、おにぎり2つとおかず少量。を二人で分けっこ)をし、新藤原駅で乗継して、下今市駅で12時04分発のスペーシアに乗り換え北千住で下車、松戸で乗り換え、地元駅まで嫁さんと長女に迎えにきてもらい帰宅した。


今回の反省点は、出発のとき、登山をするかしないかの迷い、写真もどうするか迷い、軽量も撮影機材も中途半端だった。
やはり、軽量をこころがけなければと、つくづく思った。







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